「器用貧乏」の定義

本日もお疲れさーん。
めっきりTシャツのサイズがXLの渡辺です。

今日は「器用貧乏」についてを主にお話ししたいと思いまっす。

器用貧乏。

これってよく言われるフレーズであり、そうならないようにと心がけてはいるものの、いろいろなことを事業として進めている自分は実は器用貧乏なのではないか、と不安にいつも苛まれているのです。

そもそも器用貧乏はWEBで検索してみると大体こんな検索結果で。
「なまじ器用である為に、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しない。」

そして僕の周りにも

「いい発想してるんだけど、なぜか結果を出せない人」や
「いいアイディアいっぱい出すのに上手に着地させられない人」

が結構いたりして。

そういう方には「あー、これも1つの器用貧乏だなー」って偉そうに思っちゃったりもするわけで。

でもなんで結局のところ器用貧乏になっちゃうんだろう??と思っていたところ。

そんな中、いい答えをくれたのが北千住の大人気コッペパンやさん「2538デリコッペ」さんのFacebookのある日の投稿で。

書いている人はおそらく社長のTさん(だと俺は今も信じてる)だと思うのだけれど、スパッと僕の器用貧乏に対するモヤモヤをその周辺のこと含め消しとばしてくれたのですよ。

それがこんな内容↓


そんなわけで本日は「センスと実力と能力」について。

本当の意味は分かりませんが

私はこの3つを使い分けていて

出世魚の呼び名の違いのように使っています。

まず、ある仕事に対して筋が良いなと思ったら「センスがある」


でもセンスがあってもそれを花開かせるには何度も繰り返すことが必要で

それが出来ない人は「器用貧乏」に着地します


逆に、そのセンスを磨き続けて

再現性の高い仕事が出来るようになると「実力あるなー」となります。


ただ、実力があったとしても

応用力が効かない。

意識していないととその実力が発揮できない。

「意識を無意識にする」事が出来ない人もいます。


この、ずっと意識してやっていた事が

無意識に出来るようになる。

その分野に関しては初見であっても高いレベルで再現できるようになる。

ここまで体に染み込んでくると「能力がある」と呼んでます。
(もしくは悪魔の実を食べると能力があると呼びます)


センスが良くても実力ではない。

実力があるんだけどどこかまだまだな人はたくさんいます。

短い人生の中で手に入れることの出来る能力は極めて少ないと思いますが

私もまた新たな能力を手に入れるべく

日々経験と実践の繰り返しなのであります。

これ全て含めてすごいわかりやすくないですか?

まじナイスカテゴライズ。

これを読んだ瞬間に「ふっ」と視界が開いたのを今でも覚えています(←大袈裟だよおい)

そう。何か1つを始めても「途中で繰り返さなかったから」器用貧乏になり、結果が出ないのですね。

さてさて、繰り返さなかった、または途中でやめちゃった理由としてはおそらく

「飽きちゃった(飽きっぽい人に器用貧乏率多い気がします)」
「発想だけで人にやらせて自分は体を動かさない」(←コレも意外と多き気がする)
「すぐ結果が出ないから嫌になっちゃった」

などなのかな。
なあ、そう考えればそりゃそうなるわな、と。

ここ大事だぞ!

そして本当の器用貧乏の怖さは、
「実は自分は器用貧乏だと自分では気付かない(気づいていない)人が多い」
ことじゃないかな。
そして後々結果が出なかった時になって「実は俺って。。。」となる。

きっと周りの人は事前に気づいているんだろうけど。

だからせっかくセンスがあるのならば器用貧乏にならないためにまず「諦めずに繰り返すこと」をしていれば、「器用貧乏」を避けた上で「センスがあるひと」から「実力があるひと」に転職できるわけで。

さて。これを読むと今のところは1つも諦めずに全てなんらかの着地はさせているつもり(ほんとかよ)なので、僕は

「実力があるんだけどどこかまだまだな人」

ということになるのか。。。(最低限そうでありたい。。。)

でも「実力がある」の上級レベルである「能力がある」人もやはり周りにいるので、そんな素敵な大人たちを見習いながら、今日も頑張っちゃおうかなー、と思います。

まずはいろんなところにタネを巻き続け何があっても諦めず全ての土壌に水を挙げ続けよう。

2538さん、良きお言葉ありがとうございましたー